寿永4年(1185年)、壇ノ浦の合戦で安徳天皇は御歳わずか8才で祖母である二位の尼に抱かれ平家一門とともに壇ノ浦に崩じられましたので、赤間関(現:下関)紅石山麓の阿弥陀寺境内に奉葬しました。
明治維新に至り阿弥陀寺を廃し 明治8年10月7日勅命をもって官幣中社(皇室尊崇の神社および天皇・皇親・功臣を祀る神社)となり、地名から社号を赤間宮とし、社殿が造営されました。
昭和15年8月1日天皇陛下は官幣大社(大社・中社・小社の格があった)に改めて赤間神宮と宣下されました。その後、第二次大戦の空襲によって神殿は焼失し昭和40年4月(御祭神780年大祭)に現在の社殿が完成しました。
その外観は非常に珍しい龍宮作りで、「海の底にも都はありますよ」と祖母・二位の尼に諭されて入水した安徳帝の御霊を鎮めるにふさわしいものとなっています。
詳しくは赤間神宮公式サイトの御由緒をご覧ください。
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