大原御幸の舞台寂光院 4

 庵の裏山から摘んだ花を入れたかごを手に持って降りてきた建礼門院は、後白河院との思いがけない対面に「生きながら六道(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)を見てさぶらふ」とわが生涯を涙ながらに語り始めました。

 国母として天上界にも比すべき栄華を極めた日月、戦場に繰り広げられた修羅、餓鬼道さながらの西海漂流の日々、壇ノ浦における大叫喚の地獄などを語り尽くさぬうちに涙にむせびました。恩讐、迷妄を越えて、ひたすら寂光(=静寂な涅槃の境地から発する智慧の光)を求め、臨終正念(=死に臨んで心乱れず往生を信じて疑わないこと)をねがう建礼門院の姿に、後白河院も感じ入って落涙を禁じ得ませんでした。

 やがて、「夕陽(せきよう)、西に傾けば」、しめやかに「寂光院の鐘のこい、今日も暮れぬ」と聞こえてきました。

 

 建礼門院が往生の素懐を遂げたのは建久のころ(1191)でした。写真は建礼門院御陵(大原西陵)です。


注釈
建礼門院西陵の写真はひょっとすると別の所の写真かもしれません。どなたかお気づきの点がありましたらご指摘ください。私の手元の書籍の写真と見比べてもそっくりなのですが、何か違うような気がします。
いずれにしても仏教に帰依した建礼門院の墓所になぜか鳥居があります。

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