平家の一杯水(山口県下関市)
壇ノ浦の合戦で平家方のある武将が前田の海岸に流れ着きました。
「・・・・岸に・・・たどり着いたのか・・・」
武将は全身にひどい傷を負っていました。
敵の武将義経の船を捜し求め、雨霰と降り注ぐ源氏軍の槍をかいくぐって巧みに進む軍船の舳先に立っていたこの武将は源義経の『船を操る漁師を真っ先に射殺すのだ』という禁じ手によって船の自由を奪われ、敵の矢を受け海中に転落したのでした。
「!!」
武将はかすむ目を凝らして大小の軍船が入り混じる海峡を見渡しました。
「御座舟は!! 御座舟は!!」
平家の武将にしかわからない御印をつけた偽装御座舟は多くの僚船に守られ無事の様子でした。宗盛父子が船端に勇ましく仁王立ちしている様子が見て取れました。一方、源氏の軍船はひときわ目立つ唐舟の船足をとめるべく集中しているようでした。
「知盛殿はなんと名将なことか。愚かな源氏軍はまんまと唐舟に戦力を集中しておる。・・・が、わが軍は劣勢。あと百隻も我が軍に軍船があれば唐舟を囲む源氏軍を背後より打ち破ることもできたろうに」
自分の目の前の海峡に目を転じると敵味方入り乱れる中をひときわ煌びやかな鎧をつけた武将が背が低くすばしっこい敵方の武将を追っているのが見えました。
「おぉ、教経殿はご健在か! すると、あの逃げる武将は源義経! 目指す敵は我が眼前にあるものをなんと無常なこの海峡の流れか・・・この海峡に隔たれ、弓矢も失い、なすすべもないのか・・・」
その武将は身動きもままならない満身創痍のわが身を嘆き悲しみ、失意の底に沈んでいました。ふと気が付くと片手の指先が小さな水溜りの中に入っていました。地下深くから水が湧きその小さな水溜りとなっていました。
「こんなところに湧き水が・・・」
武将の心にそれまで忘れていた空腹感や口渇感が一気にあふれました。
「貴様、末期の水のつもりか・・・」
誰にとも無くそういうと、武将は諦めたように手甲(てっこう)をはずし、そのわずかな湧き水を両手にすくってその湧き水を口に含みました。
「うまい・・・」
武将の視界は次第にかすんでいきました。
「都を離れてはるか、一の谷、屋島と西の海を戦い抜いたが、黄泉の国の入り口と古から記されてきたこの壇ノ浦では戦わずして我が天命もこれまでか・・・」
武将は、再び湧き水を両手にすくって口に含んだところ、大きくむせ返ってその水を吐き出しました。真水だったはずのその湧き水は紛いも無く海水となっていました。武将はその大袖を湧き水に浸し二度と動くことはありませんでした。
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