ハノイ郊外の陶磁器工場の登り窯
   同工場の陶工
  「貧しさを分かち合う社会主義」、これは、古田元夫東大教授のネーミングのようである(ベトナムの世界史一七〇頁等)。これは、いわゆるソ連型の社会主義が、アジアで、大半を占める農民に、社会主義という「夢」を「明日」にでも実現するために、「今日」は皆で貧しさを分かち合って自己犠牲的に奮闘することを求める状況を指している。
 この貧しさを分かち合う社会主義の要は、農業の集団化であったが、その経済的優位性を農民に示すことは難しかったが、その困難を隠蔽してくれたのが相次いだベトナム戦争であった。

 ところが、ベトナム戦争に勝利したベトナム社会主義共和国の人々にとって、「貧しさを分かち合う社会主義」は、戦時体制の緊張から解放され、誰はばかることなく自己の暮らしの向上を追求するようになって何の魅力もないシステムとなってしまった。そこで、中国との戦争直後である一九七九年以降採用されることになった新経済政策が「ドモイ(刷新)」であり、「貧しさを分かち合う社会主義」からき訣別の試みであった。


ンタオ郊外の高級リゾートホテルの独立した居室
同 室 内

 このドイモイ路線とは、市場メカニズムの全面導入(民間経済活動の自由化)と対外全面開放(西側諸国や中国との和解)を二本柱としている(地球の歩き方「ベトナム」二八〇頁)。この改革の一つは「土地改革」であり、土地は全人民のもので、最終処分権は国家にあるが、使用権は個人と法人に与えられ、その売買、譲渡も、相続も自由となった。農業合作社に縛られていた農民も自作農となり、これで、農民の生産意欲が高まった結果、食料の輸入国だったベトナムが輸出国となり、九七年には、タイに次ぐ世界二位の米の輸出量となった。この外、金融改革等により、ベトナム経済は九一年から急成長の時代を迎えた。これにつれて、ベトナムの人々のライフ・スタイルも変わり、まさしく劇的な発展変革の時代に突入した今日がある。

 ホーチミンからブンタウに行く途中の高速道路の整備状況や、沿道で威容を誇る石油精製工場は、ベトナムが着実に近代工業国としての歩みを始めようとしている。このように、今度の一人旅で、ハノイやホーチミンの人々の暮らしぶりに感じられる活気、私の経験した四〇年前の人力車とベンツの最新車が入り交じって街を走っているのを見ると、この何とも言えない混沌こそ、明日のベトナムの大いなる発展を期待させてくれるように思われる。
 ドイモイ政策も、まだまだ、紆余曲折があり、その道は容易なものではないであろうが、ベトナム戦争に勝利したベトナムの人々の奮闘前進を期待したい。




明日のベトナムを担うハノイ市内の中学生達 コン川フエリーの乗船者達、
     その活力が明日のベトナムを切り開く


ブンタオ郊外リゾートホテルのベトナム人スタッフ
 ファン・トゥーンさんは、ホーチミン市で工場の秘書事務をしている二三才の娘さんである。ベトナム南部観光の時の通訳だったソンさんの親戚で、自宅を訪問した時に知り合って以来文通を続けている。
 彼女は、トンズー(東方)日本語学校に通って日本語の勉強をし、何時かは日本へ来たいと考えている。昨年一二月に来た手紙の後暫く途絶えていたが、つい最近二度目の便りが届いた。漢字の数も増え、言葉の使い方も上手になり、日本語の語学力に長足の進歩が認められた。

 今、ベトナムは、ドイモイ政策の下で目まぐるしいほどに社会が変化発展しており、丁度日本の高度経済成長時代に相応しているようだ。
 それだけに、一般国民は、政治に対する関心よりも経済生活への関心が高い。そのような風潮の下、アジアの経済大国といわれる日本は、まぶしい程に高く大きな存在に見えるようで、機会があれば、日本に行って働きたいという願いが、若者に強い。私も、そのような若者の願い実現に手を差し伸べるべきか迷っている。

 今度の一人旅で、ベトナムの人々が、穏やかでありながらも、不屈の意志を持つ人々であることも理解出来た。だが、ハノイの裁判所見学問題に見られた特権官僚の堕落等民主主義の発展という点で、大きな課題もあるようだ。
 しかし、あのベトナム戦争を戦いアメリカに勝利したベトナムの人々は、一歩一歩が、遅くても着実に前進をして行くだろうと期待される。第二次世界大戦の末期に、フランスの敗退につけこんでベトナムに進出し、食料の奪取やジュート麻栽培の押しつけ等によって、中部ベトナムで二〇〇万人と言われるほどの餓死者を出させた日本は、それなりの償いをしなければならない。これは、同じアジアの同胞として、それぞれの自主性と独立を尊重するなか、両国民が平和に連帯して発展することにあるようだ。


カーテンコールに応える水上人形劇の上演者達が水にたって拍手に応える。
 ベトナムの社会主義は、まだまだ大きな課題が山積しているが、共産党の一党独裁という体制が継続するのか否か、大変興味のある問題だ。でも、これは、ベトナムの人々が自ら決することである。ベトナム戦争終結後四半世紀を経た今なおベトナム北部と南部の対立も根強いものがある。だが、これまでの北部一辺倒だった官僚支配も、南部の人々の活発な経済活動により風穴が開き、ベトナム戦争における解放戦線の評価も次第に高くなって来つつあるという。そのような変化の中で、ベトナムが大きく発展することを期待したい。


これで、連載は終了することになります。長い間、ごお読み頂き有り難うございました。