一、事件の概要と問題点
原告らは、一九九三(平成五)年一月二日宮崎県高鍋市において交通事故で
死亡したA の妻と四人の子供達である。Aは、在日外国人であるBが、婚姻外で日本人女
性との間に もうけた子供であり、母親の下で生活していたが、母親死亡後には養護施設で成長し、横浜市で就職、稼働していた。
そのような生い立ちをしていたAは、一八才にな
ったころ、 Bより探し出されて、実子として面接をした後、宇部市に連れて帰られ、Bの弟Cが経営するゲームセンターで稼働するようになった。
その後、Aは、原告たる妻京子と婚姻し、
四人の子供をもうける。Cは、本件で被告となるパリス観光有限会社(以下、
たんに会社 という。)を設立してパチンコ店の経営を始めるが、風俗営業法の前歴の関係が災いして
自らは代表者になれないため、実兄のBが代表取締役になり、Aは、宮崎県の
延岡、日向 二店の責任者となって原告ら家族を連れて宮崎県に赴任した。Aの立場は、会
社の取締役 ではなく、会社の部長という立場で、右二店舗について、会計も含めて包括的
な権限を授与されていた。
このような経過の中で、会社は、一九八八(昭和六三)年六月一日、明治生
命保険相互会社との間で、Aを被保険者、会社を受取人とする五〇〇〇万円の定期保険特
約付終身保険契約(以下、S契約という。)を締結した。同じ時に、この団体保険の被保
険者となったのは、オーナーのCと他店の店長の三名であった。その後、一九九一(平成
三)年六月 一日に右契約が、総額八〇〇〇万円の保険契約(以下、T契約という。)に転換された。
Aは、一九九三(平成五)年一月二日宮崎県高鍋市において交通事故により死亡した。
会社は、Aの死亡後保険金八〇〇〇万円を受領した。ところが、会社には、死亡退職金規程および弔慰金規程が作成されていなかった。そのためか、死亡退職金や弔慰金は、原告ら遺族には全く支払われなかった。
一方、原告ら遺族は、当初延岡で暮らし、
Aの死亡退職金代わりに生活費として月額三〇万円程度を支給されていたが、その後、月額を二〇万
円に減額された。
そのようなころ、明治生命保険の外交員が、保険金を原告ら遺族が貰っているだろうと考え、新規保険の勧誘に来たことから、原告ら遺族は、会社が
Aを被保険者とする多額の生命保険金を受領していたことを初めて知った。
そこで、原告らの親族が会社に対し、生命保険契約の内容を明らかにして、会社が受け取った保険金を
原告ら遺族に引き渡すように求めると、月々支給されていた生活費も、翌年の八月には、
打ち切られてしまった。そのため、原告らは、宮崎から実家のある山口県宇部市に引き上
げて生することになった。
会社の代表者Bも、同じ宇部市にいたため再三に渡り、原告ら遺族は、会社側に保険金の引き渡しを求めたが、会社は、これに応じなかった。そこで
、原告らは弁護士に問題の解決を依頼したが、代理人は、A、B、Cがいずれ親族であることから、家事調停で解決した方が良いと考え、BがAを認知するのと併せて前記保険金全額を支払うよう求める調停を山口家裁宇部支部に提起した。
この調停では、Bは、最終的には、A を認知したが、保険金は会社が受け取ったものであるから、原告ら遺族に渡す必要はないと頑に主張し、会社としての支払いは全面的に拒否し、不調となった。そこで
、原告ら遺族は会社を被告として、会社が受け取った保険金八〇〇〇万円は不当利得であ
るとして、その引き渡しを求める訴訟を提起した。
この訴訟での最大の争点は、契約時に「付保規定」が作成されていたか否か
という点であった。この付保規定なるものは、会社が、第三者である従業員を被保険者と
して生命保険契約を締結するに当たって、その保険金が全額あるいは相当部分が当該従業
員死亡時に退職金あるいは弔慰金として支払う旨を、会社と当該従業員が同意をして相互に署名捺印をするという書面である。会社は、そのような付保規定が実際作成されているならば、会社が取得した保険金を遺族たる原告に支払うが、そのような付保規定は作成提出していないのであるから、会社が、この保険料を支払っている以上、保険金は会社が取得すべきものである。また、会社において保険金をどのように使おうと、遺族からとやかく言われる筋合いはないと強弁した。
そこで、原告側の主張立証の重点は、この付保規定の存在に置くことになった。その一環として、生命保険契約の当事者である明治生命に対
し、この付保規定を含む契約締結時の一件書類全部の文書送付嘱託を申立て採用された。
ところが、これに対する明治生命の対応は、不自然かつ不明朗極まりないものだった。明治生命は、当初会社からだされた本件保険金請求書のみを送付してきただけであった。
そ こで、書記官が、不審を抱いて、明治生命の担当者に電話で問い合わせをしたところ、「
送付した書類の他に、本件契約の内容に関する書類があるか否かわからない。請求書に添付されていた死亡診断書や印鑑証明書等の書類は、現在所在不明になっている。」という
回答があった旨の担当書記官の聴取書が編綴されている。
その後、もう一度一件書類の取 り寄せが採用されたが、その時には契約書(申込書)も送付されてきたけれども、付保規定は、「現在保管されていません。」という回答があっただけで送られて来なかった。
一方、遺族の友人で明治生命に勤めている社員は、この生命保険契約は、明治生命内ではこの付保規定がなければ絶対に締結出来ない、といって励まし、付保規定の用紙(白紙)を提供してくれた。そこで、原告側も自信を深め、契約を担当した明治生命宮崎支店の担当外務員を証人として申請し採用された。
この外務員は、わざわざ宮崎から宇部の法廷まで出頭し、会社側代理人の反対尋問にぐらつきながらも良心に従って証言してくれた。
その要旨は、次のとおりであった。
契約締結の際に押捺された印鑑は、A本人が会社の印鑑を
押捺して締結したが、明治生命においては付保規定の合意の書面がないと契約を締結しな
いと思う。
また、明治生命側は、この保険を勧誘するに当たっては、死亡した時従業員の側で死亡退職金として受け取ることができる、保険料を会社経費として落とすことができる、融資があったときそれで借入金残額を返せるという三つの点を勧誘のポイントとしている、と。
この証人調べの後、遺族たる妻とBの本人尋問があった。
Bは、被告会社代表者として本人尋問をされた際に、Aが管理していた宮崎の二店舗での月額売り上げは、計
四億円で利益率は一〇パーセント位であり、本件生命保険契約の窓口になって実際に契約を締結したのはAであり、付保規定の用紙に印鑑を押したりすることはAに全部任せてい
たこと、この生命保険契約に加入したのは、C、Aと他の店長の三人であったと述べた。
本人尋問を経て双方が最終準備書面を提出して結審したが、被告側から弁論再開の申立があり、再開後Cの証人尋問があった。会社の実質的経営者であるCも、付保規定の存在は頑強に否定したが、原告側の反対尋問に対し、Aの担当していた二店が高収益であったこ
と、経営や会計に関して、Aにかなり包括的な代理権が与えられていたこと等を認めるこ
とを余儀なくされた。
そこで、一九九七(平成九)年一月二一日結審し、二月二五日に判決の言い渡し期日が指定された。
そして、指定された期日に判決の言い渡しがあった。
しかしながら、この事件と判決の位置づけが、原告ら代理人においてきちんと出来ていなかったことから、法廷で判決言い渡しを聞くことなく、翌日、判決文が送られてきてから、この判決の重大さに気づいて過労死弁護団の水野幹男弁護士に相談したところ、至急記者会見して発表して欲しいと要請を受けた。
そこで、急遽、下関市において、 記者会見をしたところ、多くの記者が詰めかけ、驚いた次第である。その後、テレビや新
聞の報道がなされると、全国各地からの問い合わせがあり、予想外の反響の大きさに戸惑
う程であった。そこで、私も、当事務所のインターネットのホームページに登載したとこ
ろ、アクセス件数が飛躍的に増加し、電子メイルでの照会も多数に上った。
なお、会社は、本判決が不服であるとして控訴し、広島高裁で争うことにな
った。
二、地裁判決要旨
一、被告会社内では、Aが死亡するまでの間に死亡退職金規定等は作成されなかった。と<ころで、本件合意の趣旨は、被告会社内で死亡退職金規定等が定められれば
、保険金は右規定に基づいて算出される死亡退職金ないし弔意金に充てるというもので
あると解せられるが、これらが定められなかった場合に被告が被保険者たるAの遺族に支払うべき金額については、一義的には明らかでない。
しかしながら、S他人の死亡を保険事故とする他人の生命の保険契約には、賭博的に悪用されたり、不労利得の目的の
もとに不正に利用される危険があるため、これを防ぐ目的で被保険者の同意を要件とした法律の趣旨(商法六七四条一項)、T事業保険の保険料は労働者の福利厚生を目的とするものという前提から、税法上損金に計上できるものとされていること等に鑑みると
、本件付保規定は被告が従業員であるAを被保険者とする生命保険によって利益を得る
ことは予定していないと解するべきであるから、死亡退職金規定等が定められていない
場合の本件合意の趣旨は、被告が受け取った保険金から、被告が支払った保険料総額及
びAの死亡に伴い被告がAの遺族のために支出した金員があればその金額を控除した残
金をAの遺族に死亡退職金ないし弔意金として支払うというものであると解するのが相
当である。
その場合遺族が受け取るべき金額が死亡退職金ないし弔意金としては社会一
般の水準よりも多額となってもやむを得ないというべきである。
二、被告が原告らにAの死亡退職金ないし弔意金を支払うに際し、保険金から
差し引くべき金額として、次のものがあり、合計金九五五万七七四〇円である。
S 被告が負担したAの葬儀費用金二〇〇万円
T 被告が支出したAの墓石代金一五〇万円
U 被告が原告らの生活費の援助として平成五年二月から同年六月まで一か
月金三〇万円ずつ、同年七月から平成六年八月まで一か月金二〇万円ずつ送金した金
員合計金四三〇万円
V 被告が支払った保険料 合計金一七五万七七四〇円
三、被告が原告らに引き渡すべき保険金は、被告が受領した金八〇三八万〇九
四九円から右の合計金九五五万七七四〇円を差し引いた金七〇八二万三二〇九円となる
。
三、地裁判決の意義
この事件は、いわゆる団体生命保険のAグループに属するものとはいえる
が、同族会<社で、同時に保険契約を締結したのが三人しかおらず、被保険者と会社代表
者が実の父子であるといった特殊な身分関係があり、かつ、被保険者本人が同意をして
生命保険契約を締結しているという点では、典型的な団体生命保険に関するものとはい
えず、むしろ、個人保険に近い性格を持ったものと言えるかもしれない。
しかしながら、本件判決は、保険の形態の点をさしおいても、従業員にか
けられた生命保険については、その全額がその遺族に引き渡されるべきものだと判示し
ている点が高く評価されるべきものである。また、会社が支出した諸金額を控除した後
に、七〇〇〇万円余という多額の金員を遺族に支払うことを命じた点は、その金額の大
きさの点で画期的なものである。本判決は、商法の規定に基づき、生命保険契約の本旨
に立ち、従業員の死亡により会社が不当な利益を得るようなことがあってはならないと
明確に判示している点も高く評価されるべきものと考えられる。
特に、文化シャッター事件で、静岡地裁浜松支部が、団体生命保険契約は
無効であると判断しながら保険金を遺族ではなく生命保険会社に返還すべきだ等という
、一般国民の法感情に反するような形式的な判断をしたのに対比すると、本判決の輝き
は一層増すものと考えられる。その点で、高裁においても、この判決の立場を確立させるために努力する所存である。
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