No.12

2009年(平成21)3月31日発行
中国ブロック選出・山口県弁護士会
日弁連 副会長 田川章次


一年間お世話になり
大変有難うございました

 早いもので、出来るか否か不安の内に始まった副会長の任務も満了しようとしています。中国ブロックの先生方と中弁連、日弁連の事務局の方々の支えにより、何とかその役割を果たせたのではないかと感謝をしております。
 この原稿は、20日午後11時、チエコはプラハで、日弁連がILACと共同で行うイラク弁護士の研修に行く機中のドイツ上空あたりで書き始め、プラハのホテルで終えました。
そこで、私が担当した会務を中心に述べます。

 先ず、労働と貧困の問題です。
10月の人権大会第3分科会・ワーキングブアー解消についての決議案は
全会一致で採択されました。
 その提言を実行する機関として生活保護問題緊急対策委員会を「貧困と人権に関する委員会」に拡大改組し、生活保護法と労働者派遣法の抜本的改正についての日弁連の提言を出しました。これらの提言が、昨年末来の急激な不況の進行と派遣切りによる失業者と生活困窮者の急増に対し関係者に大きな励ましを与えました。
また3月9日には、全国一斉の派遣切りと雇い止め問題についてのホットラインを実行しました。これは全国全ての単位会取り組みとなり、北は北海道旭川から南は沖縄那覇まで実に700名近くもの会員が相談に従事して頂きました。相談数は1000名を超えており、深刻、切迫した事例が多く、日弁連として17日、厚労省に緊急対策の申し入れを行いました。今後も、適切な対策と提言が日弁連に期待されていると思います。

 次に、国際関係です。
 国際活動協議会は、今年度最大の課題である国際司法支援の基本方針を策定しました。
これに基づき、国際人権問題委員会担当で3月22日からプラハで行われるイラク弁護士の国際人道法トレーニングに、担当副会長の私と講師2名,同補助3名を派遣することになり、これが私の最後の仕事となります。
 今年度は、世界人権宣言50周年に当たる事から、重要な国際会議が相次ぎました。
国連人権理事会による普遍的定期的審査(UPR)では画期的成果を得ました。その成果をまとめたリーフレット、書籍を発刊しました。また、国際人権(自由権)規約委員会が2008年10月中旬ジュネーブで行われ、第5回政府報告書審査に代表団16名を派遣しました。
私は団長として参加し、現地でロビー活動を行い、「つくられる自白 志布志の悲劇」の上映会を行いました。審査の結果、10月31日に、ここでも画期的な総括所見が出されました。
総括所見の内容等を広報するパンフレットを作成しました。
 また、年明けには、香港のリーガルイヤーの行事に参加しました。
この3つの海外出張で4万8000キロも走り回ったようです。このような活動状況は、個々の日弁連だよりで会務遂行状況として報告させて頂きました。
昨年4月から本年3月までに下関と東京を27往復し、1年365日中,257泊にもなりました。
何とか健康で任務完了出来たのも周りの皆さんのおかげとあつく感謝しています。
本当に有り難うございました。

イラク弁護士
 トレーニング報告
はじめに
19日の新旧理事協議会で国際活動の報告をし、翌20日の朝8時過ぎに京急蒲田を出て10時前に成田空港着、12時40分パリに向け出発。シャルルドゴール空港到着後乗り換え時間が45分しかないため、広い構内を大忙しで移動した。
何とか間に合ってブラハ行きのエアバスに乗った。
 機内で着席すると岡山から関西空港経由で同行する水内真紀子弁護士が心配して顔を出してくれた。
ブラハ空港到着後入管審査があると思い荷物がとれないままに外に出てしまい、水内弁護士に取って出て貰う羽目になった。そんなハプニングもあったが迎えのタクシーに乗り、夜9時前にホテルに何とか到着できた。
 21日(土)日弁連代表団全員がそろい、夕方からトレーニング会場のシール・インスティチュートで、講師陣と関係者の打ち合わせを行った。
日弁連からの参加者と他の講師陣のほかアイラック議長ポール氏や、以前打ち合わせのため来日したニック氏等が出席された。
その中で、皆さんが日弁連から副会長が参加したことを大変歓迎され、当の本人としてはいささか面はゆい感じであった。
トレーニング開始
22日(日)いよいよ初日が始まった。
英語とアラビ語の同時通訳での進行は、順調に進行しているようだった。
イラクの弁護士からは、繰り返しくり返しアメリカ・イギリスによる人権侵害は罪を問われないのかといった発言・質問が出た。
初日の講義は国際人権法のフレームワークという総論のため、やや大学の講義的だった。彼らは、もっと実用的な知識を求めており、日弁連の経験が少しは役に立つのではないかということが感じられた。
また、参加者から出されたイラクにおける人権問題の深刻さと問題がかなり絞られていることも判った。
そこで、2日目の講義終了後の反省と打ち合わせ後に、3日目の日弁連ワークショップの内容・進め方を練り直し、出発前に日本で用意したものがあったが、大幅に変更することとなった。
 私は今回、奄美大島の依頼者から贈られた大島紬の草木染めの羽織と着物と、持参した茶道具と羊羹で参加。休憩時間ごとにお茶を点て、かなり多くの方たちに喜んで頂き、写真を一緒に撮影された。私の着物もとてもビューティだと言って褒めて貰った。
 イラクの弁護士たちが日本に対し強い親近感を持っており、クルド弁護士会からはロゴ入り楯を日弁連に頂いた。その時の挨拶も、原爆を投下された日本で人権活動をしてきたことに敬意を表してというものであった。クルドでは、10数万人の人々がサダム・フセインにより毒ガスで虐殺され、その生き残りの人も今回参加されているということで、共通の悲惨な経験からの思いからだった。
私にとっての本番
私のスピーチは、前日の打ち合わせで急遽、イラク弁護士たちの関心事に合わせて、話の内容を膨らませ、その拡張部分を大谷さんに翻訳して貰い、印刷した原稿を読み上げる形でやった。
本来部分は、自ら日本文で原稿を書き英訳したものに事務局に手を入れて貰い、それを何回か声を出して、練習をしていただけに、何とかさまになった。
ところが、膨らました部分は自分のものとなっていなかったので不安だった。
だが大谷さんより、皆さんが本当に関心をもって聞き入っている様子が伝わってきたと聞いてホットした。
イラクの弁護士たちにとって日本の敗戦、占領と、今も残る米軍基地とこれに関する問題、原爆被害等の問題について、日本の弁護士がどのような活動をしてきたのかという話を聞くことにものすごく強い関心と連帯感を感じる、とのことだった。
 ワークショップ自体は、途中で質問がたくさん出たりしたこともあって、終了時間が30分近く延びるといった結果となったが、我々の自己評価も成功と言ってよいとの結論になった。
イラク弁護士
 トレーニング スピーチ概要
 トレーニング スピーチ概要

 親愛なるイラク弁護士のみなさん、今日は。
私は、日本弁護士連合会副会長の田川章次です。イラクは世界4大文明の一つメソポタミア文明が栄えた土地で、有名なハンムラビ法典の生まれた土地です。
その子孫たる皆さんに、日本の経験をお話できるのは、まことに名誉なことです。
 人権獲得のための人類の闘いの歴史は古い。流血、投獄などさまざまな試練に耐え、偏見と無知による差別や迫害と闘いながら、人類は、アメリカ諸州の権利章典、フランス人権宣言など幾多の人権宣言を獲得してきた。
しかし、それらは一朝にして得られたものではない。そして、獲得後も、これを覆そうという動きにさらされてきた
 そこで、日本における人権獲得の歴史を見ることとする。
日本の近代化革命とされる明治政府は、1989年最初の立憲主義憲法である明治憲法を制定した。そこでは、多くの権利自由が保障されていたが、いずれも憲法制定権者である天皇の恩恵によるもので、その保障も法律の範囲でしかなされなかった。
そのため、人々は、真の権利自由を獲得すべく闘ったが、日露戦争等で勝利をした政府は、帝国主義的な領土拡張の道を突き進み、国民の権利を圧殺して太平洋戦争への道を辿った。その中で、日本の弁護士は、農民や労働者の権利を守るために身体を張って闘い、戦争反対の立場を貫きご投獄された者もあった。しかし、大勢は戦争に駆り出されてアジアの諸国へ侵略のための軍隊の一員として派遣され、戦死した。そして、1945年の争終結の日を迎えた。日本が遂行した太平洋戦争によって、アジアの諸国民2000万人、日本国民が300万人も犠牲となり、日本は、アメリカの東京等の主要都市に対する無差別爆撃や、広島長崎への原子爆弾投下によって全土が焦土と化し、1945年8月無条件降伏によって日本は敗戦を迎えた。
このような悲惨かつ痛苦の経験を経て、廃墟から復興するために、日本は、1946年に新しい「日本国憲法」を制定した。
この憲法の柱は、絶対平和主義、民主主義、基本的人権尊重主義を貴重とするものであり、その当時の国際的人道法を具体化するものであった。
しかしなから、天皇制下の官僚や大会社の横暴は続き、国民の民主的諸権利は容易に実現されることはなく、今に続く、長く厳しい民主主義的諸権利を確保する闘いが必要であった。
このような人権獲得の闘いの中で、日本の弁護士が果たした役割は特筆すべきものがある。弁護士は、大戦前は法務大臣の監督下にあったが、戦後日本弁護士連合会を組織して自治権を有し、政府から独立して弁護士の登録業務、懲戒権の行使を行うこととなった。

 私は、1969年弁護士となったが、大戦前からの国民の権利圧殺を図ろうとする大会社やその利益を守るために権力を乱用する警察・検察権力と対決するべく刑事訴訟法をマスターコースで学んだ後に闘いの場に入った。
以来40年間、民主主義、自由、平等道を実現するための闘いを多くの人々と共に進め、退職勧奨を口実にした退職強要を許さないという下関商業高校事件、異なる労働組合の間でのバス新車の配車差別は違法とするサンデン交通事件等最高裁で勝利した経験がある。
 その時に活用したのが国際人道法であり、具体的には先に上げた人権諸条約である。
特に、日本の選挙では、選挙活動にさまざまの制限が加えられ、選挙人の家を訪問することや、投票依頼のビラの配布等が禁止されている。
これは明らかに、表現の自由を制限する不当なものである。
ところが、日本の裁判所は、警察・検察と共にこの制限を許し、我々の無罪の主張に全く耳を傾けない。
そのため、国際人権規約を引用して、戸別訪問を禁ずる法律が許されないことを強く訴えて来たが、最高裁判所に至るまで、無視してきたのが現在の日本の状況である。
そこで、私たち日本弁護士連合会は、日本政府、日本裁判所に対して国際的な批判を集中させ、現在とっている人権政策が国際基準に反していることを自覚させるために、国連人権理事会の定期審査(UPR)や、国際人権自由権規約、拷問禁止条約等の審査において、NGOとしての活動を他のNGOと共に強力に行って勧告を出させるという活動を重視し活動してきた。その結果、昨年はUPR審査結果や、国際人権自由権規約委員会の総括所見において、日本政府の対応を厳しく批判し改善が強く求められたので、これを明らかにするなかで、国民各層の人々と力を合わせ奮闘する決意である。