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壇ノ浦の亡霊
壇ノ浦の合戦では多くの平家の武士達が命を落とし、波間に沈んでいきました。そのため、山口県下関市と福岡県北九州市にはさまれた海上交通の要衝、関門海峡には平家の怨念の込められた平家蟹が生息しており、その姿はまさに恨みつらみのつのった平家武者の姿そのものといえます。また、彦島の身投げ岩より夫のあとを追って海峡(小戸)に身を投げた平家の女官達は姫鯛に姿を変え、その怨念を20世紀の今までも伝え続けているともいわれています。
96年8月、漫画週刊誌「少年ジャンプ」に連載中の「地獄先生ぬ〜べ〜」に、この平家の亡霊が取り上げられました(漫画中では「妖怪」としてあつかわれていましたが・・・)。
地元の壇ノ浦の漁師達が海峡で漁をしていると、曇った日や夕暮れ時には必ず平家の亡霊が海中から手を伸ばし、船縁にしがみついてきていました。亡霊達は「ひしゃくをくれぇ、ひしゃくをかせぇ」と哀れな声でひしゃくを要求します。漁師がその声に恐れおののいて、思わず柄杓を渡してしまうと、亡霊はそのひしゃくで海の水を船の中にそそぎ込み、船を沈めて漁師を殺してしまうのでした。
そのため、漁師達は漁に出るときには必ず底を抜いたひしゃくを持って出かけ、亡霊にひしゃくを求められたならば、その底のないひしゃくを渡し、生き延びたと言われています。
また、「耳なし芳一」も小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)によって著書「怪談」の中で世界に紹介され、平家の亡霊の話として有名です。
小泉八雲は1850年にイギリスで生まれました(1904年没)。明治23年に来日、帰化した小説家・英文学者です。教鞭を執る傍ら日本研究を進め、日本への深い愛情を示す随筆・研究・創作を名文で書き続け、「知られぬ日本の面影」「心」「怪談」などによって日本を広く世界に紹介しました。
「耳なし芳一のはなし」は「怪談」の最初にのっており、下関を舞台とした琵琶法師・芳一と滅亡した平家の怨霊の話です。安徳幼帝と共に平家は滅び、その後700年の間、壇ノ浦の海と一帯の海岸とは怨霊にたたられていたと記しています。
ラフカディオ・ハーン「耳なし芳一の話」において、ハーンが用いた原典であるところの江戸時代の怪談集『臥遊奇談』から「琵琶の秘曲、幽霊を泣かしむ」の本文をgifファイルで提供している岐阜大学、根岸さんのページ
同じく根岸さんの ラフカディオ・ハーン「日本の庭」
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