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指定年月日 昭和46年7月22日 この化石層の上には西山海水浴場の西南の交差点から南風泊水産加工団地へ通じる漁港道路の橋が架かっています。この道路は1994年10月に完成しました。この地域に貝の化石層があることはあらかじめ知られていましたので、この道路も化石層を避けるようにして県に計画されましたが、工事の途中で新たな化石層が発見されました。この際、地元から強い保存を希望する声が上がったため、計画は急遽変更され、この化石層をまたぐような形で橋が架けれました。この橋には貝の化石をデザインした欄干が設置されブロンズの貝化石レリーフも埋め込まれています。また、橋には貝化石層へ降りることのできる階段が設けられており、学術、観光面にも配慮されています。 元々この化石層は現在表面に見えている、あるいは文化財として指定されている範囲よりもはるかに広範囲に広がっており、かつては広大な化石群の眠る地でしたが、現在はその大部分が産業用地確保のために埋め立てられてしまっています。この化石層を保護する動きの中で最も早かったと思われるのは地元玄洋中学校の生徒会が中心になった活動で昭和35年のことでした。市が文化財として指定する前から中学生によって巡回監視が続けられていたそうです。漁港道路建設の際に掘り出された多くの貝化石は現在玄洋公民館に保存されていると聞いていますが、一般には公開されておらず整理分類もなされていないようで残念です。
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