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鬼の墓(富田義弘著「彦島むかしばなし」より) むかし、この海岸は多くの鬼どもの根城であった。鬼どもは朝に夕に、眼鏡岩に上っては沖を通る船を監視しておった。そして、荷物をたくさん積んだ船が通りかかると、小舟を漕ぎだして、さんざん掠奪を繰り返した。 そのやり方が、あまりにもあくどいので、ある日、テントウ様がお怒りになり、鬼どもをこらしめることになった。 その夜、鬼どもが総勢集まって円陣を組み、酒盛りをしておると、一天俄にかき曇り大嵐となった。その上、雷までが頭のすぐ上を転げ回った。 鬼どもは大慌てで我先にと逃げ始めたが、時はすでに遅く、次々に落雷して、ことごとくに死んでしもうた。 ところが、死骸となった鬼どもの表情は、赤ん坊のように柔和にあどけなく美しかった。 それを見たテントウ様は しかし、その数は思っていたよりもはるかに多く、とうとう大きな山になってしまった。テントウ様は、死体の山に土をかけ、その冥福をお祈りになった。 やがてこの浦にものどかな春がやってきて、人々は鬼の墓のことを「丸山」とよび、眼鏡岩の近くの大きな岩屋を「鬼穴」と呼ぶようになった。 上の写真はもともと「テトリガンスの海」と題したページに掲載していたものですが、神戸市在住のRodyさんより、「あれは眼鏡岩では?」というメールを頂きまして、確認しましたところ、位置的にそれに違いないと確認できましたので、こちらに新たにページを用意して移動しました。お話を伺ったところによりますと、Rodyさんは中学生の頃、夏休みの研究で「彦島の伝説」を調べられたとのことです。
ちなみに、書物によっては、眼鏡岩は舞子島の近くと記載されているものもありますが・・・「遠い」「近い」は個人の主観ではありますが、実際には少し離れています。
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