服部明子の平家物語研究室

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■ 彦島

( Date: 1998年 6月 13日 土曜日 9:54:33 PM)

1)彦島には義経や梶原景時の記念になるものが何故か無いことについて

 愛知県春日井市にも梶原景時の領地があったのですが私は全く知りませんでした。梶原景時を好きな人って先ずいないし、土地の者にも良い領主ではなかったということと思います。例えば愛知県吉良市のあの悪名高い人は吉良あたりでは名君として今でも尊敬されています。日本の戦史上最大の天才とされる義経が平家を滅ぼしたその地で跡を留めていないということは全く尊敬に値しない人物だったと思われたからでしょう。水夫を先ず射殺した義経の戦法を、正々堂々戦わなかった、と彦島の人には認められなかったからでしょう。また屋島での「弓流し」の話や壇の浦での「八艘跳び」の話は源氏の大将として「為朝の甥ともあろう者が。。。」とか「逃げ回って。。。」とか、どこが天才だって言うんだとの反発もあったのではないでしょうか。彦島の人達の共感を得られなかった義経の跡はこうして排除されたのだと思います。

2)彦島で平家は何をしたかったのか

「君住めば ここも雲井の月なれど なほ恋しきは 都なりけり」 平 行盛

 木曾義仲に追われ九州に新天地を求めて落ちて行った平家ですが維義に追い出されて波の上にしか居場所がなくなりました。天皇と3種の神器があるのだから「こちらが正当な天皇」との誇りで瀬戸内海に君臨するつもりだったのではないでしょうか。それで東の屋島と西の彦島を押さえたのだと思います。確かに水島や室山では勝ちをおさめて「これなら!」と京都奪還も夢ではないと希望を持ったことでしょう。まず京に近い屋島に安徳天皇の行在所を作り、近々京に戻れると思っていたと思います。彦島は押さえの拠点で充分、まさか屋島が落ちるとは思っていなかったことでしょう。


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