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門司検疫所彦島措置場

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門司検疫所彦島措置場

 彦島江の浦町7丁目に広大な敷地を有する、門司検疫所彦島措置場を2000年7月21日に許可を得て見学させていただきました。この時に撮影した写真をこのページでは紹介します。

 この日は、気温が35度に迫る暑い日で、空は抜けるような青空に夏の雲が張り出していました。係の方に一つずつ解説をしていただきながら、およそ2時間半をかけて現在残っている建物すべての内外を見学しました。


 門司検疫所彦島措置場は海外からの入国者に対して、伝染病を国内に持ち込まないように検疫を行う施設で、1885年(明治18年)にコレラの消毒業務を行う「内務省下ノ関消毒所」として開設され、1915年に現在の施設が開設されました。その後、下関が海外への重要な窓口だった時代の象徴として機能してきましたが、1976年にコレラ患者6人が収容されたのを最後に、措置場としての機能を終え、1999年3月に閉鎖されました。

 この間、1941年からは、中国人強制連行者・捕虜検疫施設として、また、1943年からは、彦島疾病兵捕虜収容所として、連合軍の捕虜が最大時で300名収容されました。戦後は、引き上げ援護局として機能し1951年に門司検疫所彦島措置場となりました。

2002年6月14日更新時補足
 門司検疫所彦島措置場は2001年末に取り壊されました。


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