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彦島から山陰方面の民族史
それから最後に彦島から山陰方面の民族史ことについてですが、これも先ほどと同じです。こちらの方には伊予の国の言葉、風習を伝えているものが何かあるはずです。埋葬形態など何か違いがあればと思っています。
たとえば埋葬形態ならば、話が飛んで申し訳ないですけど、みなさん、土井ヶ浜遺跡を見られたことがあると思います。たくさんの人骨が今でも眠っています。同じように同じ時代、弥生時代の中期から後期にかけての埋葬遺跡が下関に一つあります。吉母浜なんですね。吉母浜も同じように弥生時代の中期と後期、同じ土器が出ます。吉母と土井ヶ浜、遠いですけど同じ土器が出ます。ということは交流があったと言うことでしょ、でも1つ違うことがあるんです。埋葬形態が違うということです。埋葬形態が違うということは民族が違うということです。でしょ。ですからそういうところを彦島でも何かあるはずなんです。
伊予に関係のあるものが何かあるはず何です。そういうものが今まで見つかっていないと言うことが大変不思議なことなんです。で、1つテストをします。これ、男性がよく使うんですが、「ちんぐう」これ、男性が悪い言葉で使いますよね。「かばち」かばちたべるとか言いますよね。それとか赤ちゃんを背負うとか言いますけどこの辺はですね、こういう風な発音をすることがありますね。「おぶる」オブると言われたことがあると思います。それから典型的なのが、このへんの秋に稲刈りが終わった後に水田にわら束を高く積み上げますよね。円錐形に高く積み上げます。これ何かわかりますか?「としゃく」ですね。
それからこないだ火の山海関荘で山口県の役員の方が60名集まった会があったんですけど、その中で私、急に呼び出されて、話をしたときにこの話をしたんです。60名全員に立ってもらいまして、1つずつ出したんです。全部で10個出したんですけどわからない人はどんどん座って、と言ったんです。そうしたら最後まで残ったのは下関から萩にかけての下関市長門市萩市の方でしたね。その方々が全部残りました。おもしろいですよね。いま「としゃく」といいました。これ読める方はたくさんおられると思うのですが、宇部岩国方面の方はとしゃくとは発音しないんです。北九州も全然違うんです。「ちんぐう」はわかりますか?おまえんとこはちんぐうじゃけんのお、とかいいますよね。で、これ、朝鮮半島に行ったらある一部では全部通じちゃうんです。そのままです。
で、ある地区といいますと朝鮮半島でもこの地区なんです。ここ、プヨといいますよね、行ったことないでしょうね。プヨという国があります。このプヨというのは古代の都市なんですこの国が古代の百済といいます。よく聖徳太子が百済の仏教を取り入れたとか、言いますね、そのころに百済から伝わったと言います。そのころに百済が滅亡しちゃうんです。このプヨの街に一定間の言葉を言ったら全部通じちゃうんですね。おもしろいですね。(なかにし注:百済は四世紀半ば、馬韓(ばかん)北部に成立しました。下関の昔の名前は馬関(ばかん)似ていますね。何か関係があるのかな???)
そのプヨにはこういうお祭りがあります。村に行きますと村の真ん中に水田があります。はじめての田植えの時未婚の女性が田植えをします。その周囲で既婚の男性と女性が笛、太鼓、かねをならしてはやします、歌を歌います。これどこか下関でやってますよね。住吉神社のお田植え祭ですよね、でもう一つおもしろいのがこの水田のまわりのあぜ道といいますね、この周囲の道で四隅で男性が大きな竹をたてて振り回します。これ下関でもやってますよね。なんていいますか、数方庭(すほうてい)っていいますね。ここでもちゃんと「すほうてい」って言うんです。あるいは「そてい」といいます。
私が行ったインドネシアのものすごいジャングル地帯でその写真を見せたらお田植え祭は知りませんでした。でも数方庭の写真は「オー、ショテイ、ショテイ」と言ってました。皆つながっちゃうんです。こういうプヨの国のお祭り形態、言葉、あるいは生活、文化がこの彦島・下関・萩方面に伝わっているのが大変おもしろいことなんですね。そういうところも私の研究調査テーマで、ふらりと朝鮮半島にわたってこういう田舎を回って、向こうに行ったときに、なるべく農家に泊めてもらうことにしています、そういう調査をしています。このようにみなさんもハングルを知らないうちに使っている、それもこの地区の方言です。今の言葉を釜山で言ってもどうせわかりはしないです。プヨに行ってこのへんの農家に行きますと、「オーチングゥチングゥ」と大変優遇を受けます。そういういろんな文化がこの彦島にも残っているということで、彦島の歴史について駆け足で話をしました。
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