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質疑応答
Q 昔、小倉戦争か何かで田の首が小倉に取られたということを聞いたことがありますが、何か文献が残っていますか?
A ありますが、小倉戦争は全然関係ありません。というのは、以前は確かに、そうですね、この福浦湾がやはり重要だったんです。当時の航海技術で北前船が直接小倉に入りますと、今度は小倉から出られないんです。というのは小倉に高い山がありますよね、小倉から出ようと思えば南の風を受けなければならないんですが、山が高いから南の風が出てこないんです。そういうわけでこちらが特に重要だったわけです。ですから小舟で小倉に渡しておりました。ということで、この辺が大内時代から毛利の最初の頃このあたりは取りつ取られつになっております。ですから、じゃ、いつ頃までかといわれるとこれも困りますが、毛利時代に九州の大友宗麟と、豊後の国を持っております大友宗麟と、北九州門司と彦島を交換しております。そういう記録はちゃんとあります。毛利元就の時代ですが、ですから馬関戦争下関戦争の頃は全く関わりがありません。むしろ下関戦争でイギリスがここを彦島を全部くれと租借の要求を出したわけですよね。要望を出しておいてそのまま飲んだら下関の彦島はすごいビルが建っていたと思いますね。今の香港と一緒ですね。そういう形になったかもしれません。そういうわけで、毛利元就の頃に九州側との和睦によって彦島と門司を交換したされています。
Q 綾羅木郷台地にあります市立博物館に何度か行きました、入り口が円形のタイルで張った羅針盤のような形をしていますが、あれは何かモチーフをデザインしたものでしょうか
A これは綾羅木郷台地の中央付近に今は川北神社といいますが、この川北神社に上の浜古墳といいますが当時は下関で一番大きな古墳があったわけです。その古墳からでた鏡をモチーフにしております。
Q その鏡は現在考古館にありますか
A ありません。今は東京国立博物館にあります。と言うのはこれが明治の頃発見されておりますので、当時はそういうものは全部東京に集まるわけです。有名なものは全部東京に行きます。ですから現在は模造品が来ております。大変おもしろいのはあの中央にたって大きな声を出してみてください。ちょうど反響が中央の十分に戻ってくるようなデザインになっています。で、綾羅木郷と言いますが、綾羅木という言葉も朝鮮にあるんです。綾羅という国があります。で、朝鮮半島では国という言葉を「き」と発音します。綾羅木の「ぎ」ちゃんとあうんですよね。
Q そのデザインは朝鮮のものと全く同じなんですか
A それは違います。中央の高いところにはですね、鏡を付けるひもを付ける位置がちゃんとあります。
A それは間違いはありません。と言うのはですね、これは国分先生とおっしゃる、今は梅光女学院大学の名誉教授になっておられる方が、考古学をやられる方ですけれど、この先生の説によりますと、韓国のバンキダイと言うところに同じような、それに近い絵図が書いてあると言われています。それは古墳の中に書いてあります。でもよく見ますとちょっと違うんじゃないかなぁと思いますね。実を言いますともう少し違うグループがいるんですよ。今言われた杉田古墳の絵ですね、ここは彦島城のあとではないかといわれていまして近くに清盛塚がありますよね。平家が財宝を隠した絵図ではないかというグループがあります。ということでなんともいえないです。北九州方面にもたくさんの古墳の絵画がありますが、それらとも全然あわないんです。しかも今言いましたように発掘しましてもその辺から同じようなものが出てこないんです。石一個では古墳ができないですから。(なかにし注:この質問をしたのは実は私ですが、古墳と同じものが書いてあるからあれは古いものだ、というのは説得力に欠けると思います)
Q 大規模な発掘をされたのですか
A あの周辺にトレンチを入れてですね、掘ってやりました。その報告書はちゃんと出てます。でも、何も出てないです。
Q 私が読んだ本ですと、あぁいう石が昔はたくさんあって、社宅ができる頃になくなったとい話を読んだのですが、
A それは違いますね、その石が組んであった石とは考えられないわけです。それから、組んであればその周辺の石があるはずなんですが、それもない。極端な話をすればこの石、下から持ってあがったのではないかという気もします。そうなると何のために持ってあがったのかが問題となりますが。そういう風にして、極端に言えば祭祀遺跡ではないかなと思いまして、いつか機会があればもう一度トレンチを入れて見る予定です。
(なかにし注:トレンチというのは、調査しようとする地面の中のある一定の長方形の部分についてのみ掘り下げて行う調査方法のことです。これで何か発見されればテレビや新聞で写真を見るような大規模な発掘となるわけです。)
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